概要

仮面ライダーと感慨

「原作漫画」は石森章太郎が担当し、少年向け雑誌『週刊ぼくらマガジン』(のちに『週刊少年マガジン』に連載誌を変更)に漫画版を連載した。本作終了後にも登場人物や敵対組織、または時系列や世界観そのものを変え、多くのシリーズが製作された。それぞれの番組は基本的に、主人公となる「ライダー」(=仮面ライダー)の名称をタイトルとしている。一般にこれを仮面ライダーシリーズと呼ぶ。なお、1979年の第6作のテレビ番組名も同じく『仮面ライダー』だが、新聞や文献などでは「(新)」を番組名に付記する方法で本作とは区別されていた。現在では同作品の主役ライダーである「スカイライダー」を番組名に付記する方法で区別されることがある。この第6作については『仮面ライダー (スカイライダー)』を参照のこと。

本郷は、オートレーサーとしての師・立花藤兵衛や緑川博士の娘・ルリ子、そしてレース仲間で実はFBI捜査官でもある滝和也らの協力を得て、ショッカーが送り出す怪人達を次々に倒してゆく。数多くの怪人達を倒されたショッカーは、ライダー打倒のためにフリーカメラマンの一文字隼人をライダー同様の改造人間にするが、一文字は脳手術直前にライダー=本郷に救出され、新たな仮面ライダーとなる。こうして誕生した2人の仮面ライダーは日本と海外で別れて戦い、時には共闘しながら、少年仮面ライダー隊などの多くの仲間たちの協力を得て、常人とは異なる身体にされてしまった「改造人間」として苦悩しつつも、「人間の自由のため」にショッカーと戦っていく。

本作の企画は、平山プロデューサーによって1970年初頭にまとめた企画書「マスクマンK」までさかのぼる。この企画書では、「仮面のヒーローが日本征服を企むクロード黒原率いる組織・ショッカーと戦う」という大まかな筋書きが作られていた。しかし、その内容は『タイガーマスク』に言及し、「自分も仮面を被ればヒーローになれる」という児童の願望を指摘していること、主人公・九条剛が普通の体育教師で鍛錬によってヒーローの力を得ているなど、当時流行していたスポーツ根性ものの影響が強い内容であった。この企画書は、平山による「叩き台」的なもので、毎日放送側には提出されておらず、東映社内と石森プロ用のものだった。平山は本作の前に『妖術武芸帳』で「謎の鉄仮面」という「仮面物」の設定を創案しており、この際、石森章太郎をアイディア協力者候補に挙げていたが、企画がTBSの橋本洋二に渡って実現しなかった。このため、平山にとっては「仮面物」のこの「マスクマンK」は念願の設定だった。

1971年1月、石森は「もっとグロテスクなリアリティのある奴にしたい」として、自身の作品の髑髏をモチーフにした仮面のヒーローである『スカルマン』(『週刊少年マガジン』1970年1月11日号に掲載)をこの企画に応用した「仮面ライダースカルマン」のキャラクターを提案。ここで主人公が敵対する怪人と同じく改造人間であるという設定がなされ、逃亡者であることや一部のキャラクターが整理され、藤兵衛は主人公の専属トレーナーとなり、よりシンプルな物語となった。しかし、渡邊はこのキャラクターを「スカルマンは以前に描かれた作品じゃないか。大勝負に出るんだから、新しいキャラクターじゃないと駄目だ」と拒絶した。毎日放送の箱崎賞テレビ営業部副部長(当時)からも、「モチーフが髑髏では営業上の支障がある」と意見が出され、企画はさらなる検討を求められる。

仮面ライダーとキッチン

初期の仮面ライダー世代は、いまでは40~50代、もしくはそれ以上の年代が楽しんでいた層であろう。そのため、その年代の特に男性をターゲットとしたCMや広告には、この仮面ライダーの初期世代が使われることが多い。40歳代以上の男性だけにピンポイントで訴求できるためだ。しかしながら、その世代が感じていたヒーローに対する思いは並々ならないものがあるのも忘れてはいけない。例えば、今放送されているベランダやキッチンを守るために仮面ライダーを利用するという企画は、この世代にとっては単に仮面ライダーを愚弄しているだけにしか感じられず。まったくネガティブな印象しか残らないCMに成り下がっている。


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